弘前りんご_新参者の宝塚日記

大阪から転勤で仙台8年、青森県弘前で21年暮らした関西人が、関西圏とはいえ、大阪とは違った土地の宝塚に住み、いわば新参者として暮らす中で、見聞きしたこと、思ったことをつれづれに書き綴って行きます。
ユーザーエクスペリエンスの調査 (*^^*)
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    (スマフォでの見え方)

    普段、弊ブログをお読み頂き、誠にありがとうございます。

    お陰様で、兵庫県ブロックではここの所1位、近畿ブロックでは2位と3位を行ったり来たりですが、上位に付けています。

     

    さて、普段ブログはパソコンで書いていて、アップしてタイプミスとかのチェックはやはりパソコンでやっています。

    なので、スマフォでどんな風に見えるかは、正直あまり意識していませんでした。

     

    しかし、たまたま出先で時間があったので、スマフォでブログを開いてみました。

    そしたら、なんと文字が小さくて読みづらいと感じました。

    6インチクラスの液晶画面の私のスマフォでさえそうですから、それより小さいもので読んでいる方には、結構きついのではないかと思い至りました。

     

    (フォントサイズを2倍に)

    そこで、スマフォのスタイルシートCSSを書き換えて、フォントサイズをそれまでの24から倍近くの40にしてみました。

    そうすると、スマフォでも目を凝らさずとも読めるように感じました。

    尤も、その分PCの画面では若干大きすぎるかなという感じも無きにしもあらずですが。

     

     

    そこで、読んでくださっている方々にお尋ねします。

    これまでのフォントサイズ、今回の大きくなったサイズのどちらがいいですか?

    それとも両者の中間あたりがいいですか?

     

    ご意見が有りましたら、コメントをお寄せいただければ幸いです。

    FBから来られている方は、FBのコメント欄、メッセージいずれでも結構です。

     

    もし特になければしばらくこの大きさで行こうと考えていますので、よろしくお願いします。

     

     

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    #ユーザーエクスペリエンス #スマフォ #フォントサイズ #変更

     

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    | 弘前りんご | 日常 | 17:12 | comments(0) | - |
    アシスタントという生き方。北斎になりすました女(葛飾応為伝)を読んで。
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      (睡蓮の画家、モネ)

      フランス印象派の画家モネ(Claude Monet, 1840年11月14日 - 1926年12月5日、86歳没、wikipedia)が、50代後半から最晩年まで描き続けたテーマである睡蓮。その画風が年と共に変化していきました。そこには視力との関係が...

       

      ジヴェルニーの日本の橋と睡蓮の池(1899年、wikipedia)

       

      はじめは、主題の睡蓮だけでなく、背景には自宅の自慢の庭の木々や日本風の橋を、それとわかるように描いていました。

      しかし、次第に背景は曖昧になり、睡蓮とそのすぐ周りの近景にフォーカスして行き、さらには睡蓮さえもが造形が曖昧な、抽象画のようになって生きました。

       

      睡蓮の池(1907年、wikipedia)

       

      これは、50代の頃に発症した白内障が徐々に進行し、画家にとっての命とも言うべき視力が衰えていったことと密接に関連すると言われています。

      その証拠に、白内障の手術を受けて視力が回復すると、絵の輪郭が元のように戻っています。

      尤も手術の影響で、青みがかって見えるようになって、絵も全体に青を貴重とした絵になっています。

      このように、老化がその作者の表現力に影響を与えることは往々にしてあったようです。

       

      (晩年に大飛躍の北斎の場合は?)

      では、モネとほぼ同じ年齢まで生きた葛飾北斎の場合はどうでしょうか。

       

      葛飾北斎(1760年10月31日? - 1849年5月10日、88歳没、wikipedia)

       

      彼の代表作である”富嶽三十六景”は、1831-34年の版。

       

      神奈川沖浪裏(富嶽三十六景、wikipedia)

       

      その中の代表作の一つ、神奈川沖浪裏

      大胆な構図、躍動感あふれる波の表現、当時大変高価だったベロ藍を惜しげもなく使った色彩表現。

      いずれをとっても、70歳代後半の老人が描いたとはとても思えない素晴らしさです。

       

      4−50歳代で当代一の浮世絵師という評価を得た北斎でしたが、それで満足すること無く、新たな表現を追い求める姿勢は、その後も変わりませんでした。

      そしてこの絵は、絵師という職人から、画家という芸術家への変身を如実に示した作品です。また錦絵(版画)の完成まで、間に彫師、摺師という段階を経ることを、芸術表現の大きな制約と感じた北斎は、その後肉筆画(自らの筆で直接、絵絹や紙に描いた浮世絵)へその活躍の舞台を移していきます。

       

      しかし、80歳代を越える頃から、さすがの北斎でさえも衰えから逃れることが出来なかったようです。

      徐々に手に震えが現れ、直線、長い描線を一気に描くことが難しくなりました。

      細かく見ると、富嶽三十六景の後に描かれた富嶽百景では、描線が細い先の連続で表現されています。

      長年の修練、元々デッサン力、筆力のあった北斎のこと、絵自体はこのようにそのテクニックで衰えをある程度は補えた(そしてそれが新しい表現法となった)可能性があります。

      しかし、落款(著者が自ら書き込むサイン)には、震える手による字の乱れがあり、そこから衰えを感じ取ることが出来ます。

       

      その一方で、晩年になるほど色彩表現は大胆かつ鮮やかになっています。

      また以前の北斎には見られなかった、細部の緻密な表現が作品によっては現れてきています。

      とても震える手でこんなことが可能になるとは考えにくいですね。

       

      (娘、応為の存在)

       

      葛飾応為(生没年不明、wikipedia)

       

      近年の北斎研究で、恐らくある時期から北斎は、共同制作者としての娘の応為と共に作品を制作したと考えるのが妥当だという風になってきています。

       

      それは、画面構成力、筆力に優れる一方、細部の表現にはあまりこだわらなかった北斎に対して、明暗表現へのこだわり、色彩感覚の冴え、リアリティのある表現に抜きん出ていた応為。この二人が共同作業、分担作業をしていたと考えれば、北斎のとても80歳代とは思えない旺盛な制作活動、作品数、鮮やかな色彩表現、細部の緻密な表現が伴った多くの作品が誕生したことが説明できるわけです。

       

      この説が妥当であるかどうかは、今後のさらなる研究、新しい作品の発見などを待つ必要がありますが、とても魅力ある説だと思います。

       

      葛飾応為 ”吉原格子先之図” (wikipedia)

      無落款ながら、絵の中の提灯に、彼女を示す「應」「為」「榮」の文字が見える。

       

      生没年さえ不明な、謎の絵師葛飾応為(応為は号で、本名はお栄あるいは應栄)。

      彼女の落款が書き込まれた作品は、わずか。

      その全貌を解明するのはなかなか骨の折れる仕事だとは思います。

      しかし、それをあえてやるだけの魅力のある存在でしょう。

       

      今回は、色んな角度から葛飾応為の謎解きに挑戦した、ノンフィクション”北斎になりすました女_葛飾応為伝”(壇 乃歩也 著)を読んで、ますます応為という絵師について知りたくなりました。

       

      今度は、北斎と応為の研究者、キャサリン・ゴヴィエが二人を描いた”北斎と応為”を読んでみようかな?(*^^*)

       

       

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      #葛飾北斎 #葛飾応為 #モネ #北斎になりすました女 #壇乃歩也 #ゴヴィエ

       

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      | 弘前りんご | 美術 | 06:13 | comments(0) | - |
      ポピュラーな人気を今も保つ、アメリカ人作曲家。
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        (アメリカ人作曲家)

        アメリカ人作曲家と聞いて、だれを思い起こしますか?

        フォスター? アイブス? ガーシュウィン? バーバー? バーンスタイン? グローフェ?

        吹奏楽が好きな方なら、スーザとか?

         

        ルロイ・アンダーソン(1908年6月29日 - 1975年5月18日、wikipedia)

         

        しかし、忘れてならないのが、ルロイ・アンダーソン

         

        忘れられし夢(Forgotten Dreams、1954年)

        https://www.youtube.com/watch?v=jHPJJKVt5-Y

         

        The Syncopated Clock (1951年、Leroy Anderson Conducts His Music)

        https://www.youtube.com/watch?v=Gsn00qQ1uIA

         

        彼が紡ぎ出した曲は、いずれも小品ながら、魅力的な旋律で、きらりと光る宝石、掌中の珠のような存在といえばいいでしょうか。

        多くは標題音楽であり、その描かれる状況がよくわかる作品ですね。

        コンサートのアンコール曲として、あるいはファミリーコンサートと銘打ったコンサート等でよく取り上げられますね。

         

        そんな彼が作曲した数少ない大掛かりな作品が、ピアノ協奏曲ハ長調

        https://www.youtube.com/watch?v=X-LB0z1IzhE (youtube)

         

        なんと私の生まれた年に作曲されたんですね (関係ないですが ^_^;)

        しかし、古典的な形式感を持ち、親しみやすさはこの作品でも感じられますね。

        もちろん意欲的な面(ジャズのリズムを随所に取り入れるなど)もあります。

        是非一度聴いてみてください。

         

         

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        #アメリカ人 #作曲家 #ルロイアンダーソン #忘れられし夢 #シンコペイテッドクロック

         

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        | 弘前りんご | 音楽 | 17:07 | comments(0) | - |
        冷たいそうめんと、温かいそうめん(にゅうめん)とでは、どちらが好きですか?
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          (山辺の道)

          また古い(若い頃の)話で恐縮です。

          学生の頃、奈良県の”山辺(やまのべ)の道”をよく歩きました。

           

          山の辺の道とは、奈良盆地の東南にある三輪山の麓から東北部の春日大社の背後の山、三笠山(春日山)の麓まで、盆地の東縁、春日断層崖下を山々の裾を縫うように南北に走る道です。

           

          三輪山(神体山)と大神(おおみわ)神社の大鳥居(wikipedia)

           

          その街道沿いには、数多くの天皇陵、古墳、神社などがあり、奈良・飛鳥時代に栄えた古代の街道でした。そして日本史上(記録上)最古の道、そして日本現存最古の道と言われます。まさに歴史散歩に最適の道ですね。

           

          (三輪そうめん)

          それはともかく ^^;)、その起点にある大神(おおみわ)神社の周辺で作られる三輪そうめんは、日本におけるそうめんのルーツで、1200年を越える歴史を誇ります。

          山辺の道を歩いた時は、よくそうめんを頂きました(あんさんの旅は、何や食べてばかりやねえ ^^;)

           

          冬の寒い時だと大神神社近くのお寺の庫裡で出している温かいにゅうめん(そうめんを出汁で煮たもの)が、冷えた体を芯から温めてくれて、本当に美味しかったですね。

           

          しかし、暑い夏にはやはり、キリッと冷やした冷たいそうめんが、実はそばやうどんより好きです。

          尤も、そばやうどん(讃岐うどん)は一年中ザルで食べるのが好きですが ^^;)

           

           

          ということで、三輪そうめんが手に入ったので、早速この日のお昼は冷たいそうめんにしました。

           

           

          そうめんを湯掻いて冷たい水で締め、更に盛ったら、その上に錦糸卵、きゅうりの細切り、プチトマトを載せて。

          つゆにはゴマとおろしショウガをたっぷり入れて、頂きました。

          ああ、日本人に生まれてよかった (*^^*)

           

           

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          #山辺の道 #街道 #三輪 #春日大社 #三輪そうめん #にゅうめん

           

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          | 弘前りんご | グルメ | 06:01 | comments(0) | - |
          名曲の誕生と再生の影に名演奏家あり。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲
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            (3大ヴァイオリン協奏曲)

            作曲家が創作のインスピレーションを得る時、そこには優れた演奏家の存在が往々にしてあるようです。

            そしてそれが現在、名曲として知れ渡るに至ったのにも、その存在が欠かせないようです。

             

            さて、3大ヴァイオリン協奏曲と称揚されるものは、

            ・ベートーヴェン

            ・メンデルスゾーン

            ・ブラームス

            の各ヴァイオリン協奏曲が定番でしょう。

             

            ベートーヴェン(1770年12月16日ごろ - 1827年3月26日、wikipedia)

             

            (ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の誕生)

            中でも、ベートーヴェンのそれは、群を抜く完成度の素晴らしさから、ヴァイオリン協奏曲の王者とも言われます。

             

            この曲の誕生の経緯を調べると、ある一人のヴァイオリニストが浮かんできます。

            その名は、フランツ・ヨーゼフ・クレメント(November 17 or 18?, 1780 – November 3, 1842)

            ベートーヴェンが彼と出会ったのは1794年、クレメントが14歳で、神童ヴァイオリニストと呼ばれていました。

             

            彼の繊細で、かつエレガントな演奏に魅了されたベートーヴェン(ウィーンに来て間もない24歳)は、10歳年下の少年に天賦の才を見出し、友情を結んで、その後自身の演奏会にソリストとして参加させます。

            あのエロイカ(交響曲第3番”英雄”)の初演のコンサート(1805年4月7日、ウィーン)では、クレメントは自身が作曲したヴァイオリン協奏曲を演奏しました。

             

            そして、翌年1806年12月23日でのコンサート。

            そこではベートーヴェンがクレメントを奏者として想定して作曲したヴァイオリン協奏曲を、クレメントが初演しました。

            ただ、ベートーヴェンは演奏直前まで作品に手を入れていたため、クレメントはリハーサル無しで演奏せざるを得ませんでした。

            にもかかわらず、彼は見事に弾き切って、大喝采を受けました。

            ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の誕生です。

             

            (ヴァイオリン協奏曲の王者となる)

            しかし、その後この曲が演奏される機会が減少して行き、存在感も薄れて行きました。

             

            ヨーゼフ・ヨアヒム(1831年6月28日 - 1907年8月15日、wikipedia)

             

            そんな中、この曲の真価を理解して、再び採り上げて度々演奏したヴァイオリニストがいました。

            それが、大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムです。
            彼のお陰でこの曲は『ヴァイオリン協奏曲の王者』と呼ばれるまでの知名度を獲得しました。

            ヨアヒム自身、この作品を最も偉大なヴァイオリン協奏曲と称して、生涯亡くなるまで演奏しました。

             

            お陰で、私達はこの名曲を楽しむことができるわけですね。

             

             Frank Peter Zimmermann [vn], Wolfgang Sawallisch, Philadelphia Orchestra
             1996.5.23 Tokyo. Japan Live

             https://www.youtube.com/watch?v=ZPLzuvygX5o

             

            ちなみに、その立役者であるヨアヒムは、6月28日が誕生日です。

             

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            #名曲 #誕生秘話 #ヴァイオリン協奏曲 #ベートーヴェン #クレメント #ヨアヒム

             

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            | 弘前りんご | 音楽 | 19:36 | comments(0) | - |
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            そして成功するまでは故郷には帰れないと覚悟している主人公が、故郷で待つ母のおかえりという言葉を聞ける日も間もないというところで、小説は幕を閉じます。

            まさにハートウォーミングな小説。読後にじんわりと心があたたまる作品でした。
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