消えた都道府県名の謎(八幡和郎著)というタイトルに惹かれて
読んでみました。
藩が正式名称に採用されたのは、なんと明治になってからだと
いうのに、まず驚かされました。
それまでは、大名は自分の領地を国と読んでいたようです。
また、”県庁所在地の名前と県名が一致しないのは、そこが佐幕派
だったため、明治政府に報復としてそういう仕打ちをされた”
というのが、実は都市伝説であると切り捨てています (^_^;)
もちろん根拠を示してです。
さらに廃藩置県の時、今の1都1道2府43県の計47都道府県ではなく、
3府302県という膨大な数があったのが、紆余曲折の後に、
47都道府県に落ち着いた事の経緯を紹介しています。
市町村大合併狂想曲を経験した今となっては、その時の混乱が
想像できます。
そのような総論のあと、北海道・東北、関東、中部、近畿、
中国・四国、九州の別に、それぞれのエリアの県の辿った経緯が
続くのですが、それがまた実にいろんな事情があって、おもしろい。
例えば、北海道は蝦夷地経営の開拓使から始まり、函館県、札幌県、
根室県に分割されたのですが、当初人口の殆どが、函館に集中して
いました。その中の札幌が道内第一の都市になるのは、昭和15年の
国勢調査以降まだ待たなくてはいけませんでした。そもそも県に
対応する意味での道である、北海道という名前が誕生したのは、
昭和22年からということなどなど。
つい我々は、自分の生きる時代の常識で過去を捉えがちですが、
こと県名に関してもそれが全く通用しないことを知って、痛快でした。