弘前りんご_新参者の宝塚日記

大阪から転勤で仙台8年、青森県弘前で21年暮らした関西人が、関西圏とはいえ、大阪とは違った土地の宝塚に住み、いわば新参者として暮らす中で、見聞きしたこと、思ったことをつれづれに書き綴って行きます。
西沢澄博オーボエコンサート
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    日曜日の午後に、石のむろじで、オーボエコンサートがありました。
    弘前在住の作曲家、ピアニストの小西淳子さんが主催するミュージックキャンプひろさきの一環として行われました。前日が公開レッスン。そしてこの日が演奏会。






    公開レッスンは見に来れなかったのですが、その時に使ったであろう、説明の図や楽器の展示がされていました。

    西沢さんのオーボエと、小西さんのピアノで、1,2部に分けて、ヘンデル、バッハ、ヴィーダーケア、ドビュッシー、サン=サーンス、小西さんの新作を演奏しました。
    雨が降り、雨音が微かに聞こえる中でしたが、熱い演奏が繰り広げられました。




    そして、公開レッスン受講生による演奏も行われました。前日のレッスンの成果を発表できて、皆さん満足そうでした。なかなかに楽しい一時でした。
    次回、また違った楽器でも聴いてみたいと思いました。
    | 弘前りんご | 音楽 | 07:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
    なるほど、それで東向。 奈良の地名、東向通(ひがしむきとおり)の由来に納得。
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      青丹よし 奈良の都は 咲く花の 匂うが如く 今盛りなり。(万葉集巻3-328 小野老)


      (復元された、大極殿正殿)

      この歌を詠んだ年の前年に、太宰府に赴任した小野老が、大伴旅人が開いた宴で、遷都から20年、今や絶頂期の奈良の都を思って呼んだ歌ですね。

      大阪に生まれ育って、奈良はいわばお隣さん。子供の頃から何度も行きました。
      近鉄線でゆくことが多く、そのターミナル、近鉄奈良駅のそばに、奈良でもっとも繁華な商店街と言われる、東向商店街があります。



      (Google Mapより)

      ただ、それは南北に伸びていて、どうして東向という名前なのか不思議に思っていました。
      その理由が、先日のテレビの番組(ブラタモリ)で紹介された有力な説によって、なるほどと思った次第です。



      (平城京復元図)

      平城京は、聖武天皇の時代、藤原京の地から奈良の地に遷都されたもの。奈良の名は、土地をならして拓いたという意味があるとか。


      (平城京街路図)(http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/map/image/heijyokyo.gif)

      しかし、この都は見方を変えれば、藤原氏の力によるものでもあります。
      その氏寺が興福寺ですが、それが平城京の東側の飛び出した区域(いわゆる外京[げきょう])の小高い場所に立てられました。(ちなみにその隣には聖武天皇によって立てられた東大寺があります。)

      その隆盛な興福寺にあやかって、その前の南北に走る通りが出来、門前町が形成されました。しかし、その寺におしりを向けることは出来ないと、通りに面してすべて西側に(東に向かって)店々が立ちました。それでいつとはなしに、東向き通りと呼ばれるようになったようです。

      その後都は長岡(京都)の地に遷都され、藤原氏の実力者たちもそちらに移ったこともあって、通りの東側にも家が立ち並ぶように(要するに興福寺を背にする向き)なったということです。
      ああ、スッキリした (^_^;)
      | 弘前りんご | 歴史 | 06:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
      弘大フィル_プロムナード・コンサート2015
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        昨晩、弘前市民会館で、弘前大学フィルハーモニー管弦楽団のプロムナードコンサートがありました。
        顔見知りの学生達がたくさん出ていることもあり、聴きに行きました。

        弘大フィルを創立し、これまでずっと指導してこられた安達弘潮先生から、創立の年に大学一年生として入団されていた、今廣志先生に今回からバトンタッチされました。

        定期演奏会と違い、肩のこらないポピュラーな選曲だろうと思って聴きに行きましたが、なかなかどうして凝った曲が結構ありました。

        中でも、ディーリアスの音詩 ”春、初めてのかっこうの声をきいて”という、小曲ながら弦パートが10部に別れて複雑な構造の曲をよくまとめていました。




        また、”森のくまさん、チャイコに出会った” という、よく知られた ”森のクマさん” の曲の中に、チャイコフスキーの名曲の一節が織り込まれた、なかなかに楽しい曲もありました。





        若い学生たちの懸命な演奏に、楽しい時間を過ごせました。
         
        | 弘前りんご | 音楽 | 07:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
        プレミアム商品券狂想曲_誰のための?
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          (他の地方自治体のもので、本ブログの内容と関係はございません ^_^;)

          本州最北端のA県のH市でも、プレミアム商品券が昨日販売が開始されました。


          (本ブログの内容と関係はございません、あくまでイメージです ^_^;)

          平日の朝9時からの発売開始でしたが、各販売場では開始までに長蛇の列が出来、開始後1時間もしないうちに完売したとか。販売した市としては、好評に気を良くしたことでしょう。

          しかし、今回のプレミアム商品券、誰のための販売なのか、その発売の仕方には大いに疑問が残りました。

          まず第一に、平日の朝9時に並んで買えるは誰か? 
          共働きの家庭なら、この日この時間に並んで買うことは難しいでしょう。
          ちなみに、たとえば愛知県豊橋市では、事前に応募・抽選を行い、当選者に購入引換ハガキを発送する方法を取ったようです。これなら混乱は起こらないし、買えない人も納得がゆくでしょう。

          第二に、一人4冊という縛りが縛りとして機能しなかった販売の仕方。
          購入者を記録していないので、買い終わったあと、また列に並びなおして、更に買った人がいたという証言があります。実際ネット上では、4冊よりはるかに多い冊数を買ったという写真がアップされています。

          そして第三に、小さなお子さんが居る家庭はその人数分に応じての割引、あるいは高齢者の方にも割引するという案内が事前に配られたようです。そのような配慮は悪く無いと思いますが、果たしてどれだけの方、特に前者の方が買えたのでしょうか? 割引のはがきをもらって、並んで買えなかった人の思いはどうでしょうか。
          第一、第二の件と、販売後1時間もしないうちに完売したということから想像するに、割引券を受け取りながら、実際には買うことが出来なかった方が多くいたことが予想されます。予め販売を担当した商工会議所では、売り切れ次第、販売終了と書いてありましたが、なんだか言い訳の様な。
          まずはそういう方に販売し、その後一般の方に販売するという手立てもあったはず。そう、旅客機に乗る時の、小さなお子さん連れや、お手伝いを必要とする方を優先搭乗させるあのやり方。あれなら、他の方も納得したでしょう。

          同様のプレミアム商品券の販売はすでにいろんな市で行われており、長蛇の列が出来て一旦販売を延期した例や、オークション等での転売等がニュースにもなっていました。H市での販売開始は遅い方でしょう。したがって、そのような問題は事前に把握できたはずではないでしょうか。にも関わらず、上記の様な販売をあえて(?)行ったと言うのは、配慮にかけると言わざるを得ないと思います。

          一体誰のためのプレミアム商品券だったのでしょうか?
          お金と時間がある人が、割引サービスを受けられた、と言うのは言いすぎでしょうか?
          売り手の、完売したという満足感だけが漂う、後味の悪さが感じられたのは、私だけでしょうか。
          | 弘前りんご | 社会 | 05:19 | comments(2) | trackbacks(0) |
          白いのにも理由があったんだ。 なぜ江戸時代の女性のおしろいは、あんなに白いのか。
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            舞妓(wikipedia)

            舞妓さん、真っ白におしろいを塗っていますが、なぜこんなにも白くするんだろうと思っていました。
            その意味がようやくわかりました。
            今のように明るい灯りのもとに暮らしていると不自然に白く感じます。
            しかし以前は蝋燭の灯で人々は暮らしていました。また舞妓さんが登場するのは、たいてい夜のお座敷。
            そこでも灯りは蝋燭。そのような弱い灯りのもとで、地肌だと暗く沈んでしまうので、白く塗ったということです。



            たしかに、このように蛍光灯などの灯りの下では、おしろいは白すぎます。
            しかし、蛍光灯を消し、ろうそくの灯りだけにすると、



            このように、赤みの差した肌の色になり、女性の魅力を増したということらしいです。
            なるほど、理由があったんですね。

             
            | 弘前りんご | 自然科学 | 06:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
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            そして成功するまでは故郷には帰れないと覚悟している主人公が、故郷で待つ母のおかえりという言葉を聞ける日も間もないというところで、小説は幕を閉じます。

            まさにハートウォーミングな小説。読後にじんわりと心があたたまる作品でした。
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