弘前りんご_新参者の宝塚日記

大阪から転勤で仙台8年、青森県弘前で21年暮らした関西人が、関西圏とはいえ、大阪とは違った土地の宝塚に住み、いわば新参者として暮らす中で、見聞きしたこと、思ったことをつれづれに書き綴って行きます。
”おとこまえ”な女性
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    草食系男子などという言葉が市民権を得ている昨今、雄々しくあれ、
    といっても時代錯誤と云われかねません。
    しかし、そんな優しさは傷つかないための予防線なんじゃないのと、
    内心ツッコミを入れてしまいます。古い人間なんでしょうね、たぶん。

    その一方で、肉食系女子と言う言葉も交わされるようになってきています。
    不甲斐ない男子に代わって、社会の機会均等の政策も多少は浸透した
    せいか、女子が力を発揮するようになったと言うことなんでしょうか。 
    これは喜ばしいことではありますが、日本語としては、いかんせん汚い!?

    こんな手垢のついた流行語ではなく、”おとこまえ”という言葉には、ほれぼれとする
    と言う気持ちが伴います。

    タイトルにある”おとこまえ”な女性というのは、作家の有川浩のことを思い描いて
    云っているんですが。
    県庁おもてなし課、阪急電車、三匹のおっさんなどに出てくる主役の
    登場人物はだれも見事なまでにおとこまえ。男女を問わずです。
    そんな人物造形をする有川浩は、それにもましておとこまえな女性なんでしょう。


    (シアター!: 有川浩 著 メディアワークス文庫)

    この小説 ”シアター!”は、弟が主宰する小劇団が300万円の借金の
    返済に窮し、解散を余儀なくされそうなときに、その兄がある交換条件で
    300万円を貸すところから話は始まります。その交換条件とは?

    ネタバレになるので、具体的な内容には触れませんが、そこに見られる潔さ、
    決してよく見られようという計算ではなく、本当の援助とはなにかと言うことを
    見据えた上での交換条件です。
    その前に、兄がつぶやいた言葉が印象的です。
    ”人間が何かを諦めるのに必要な条件は、全力でやって折れることだ”。

    そして、おまけですが、
    文庫本の解説で、Theatre 劇団子の主宰者、石山英憲が紹介したエピソード
    にある有川浩の言葉が正に彼女のおとこまえぶりを雄弁に語っています。
    石山に芝居の感想を求められて、有川浩が
    ”おもしろかったというより、悔しかったです。”と言ったというのです。
    こんなことおとこまえでなきゃ言えんでしょう。

    ただ、”おとこまえ”という言葉にかわるジェンダーフリーないい言葉を、誰か
    発明してくれないかなあ。意味合いを解釈せず、ただ”おとこ”と入っているだけで
    拒否反応する方々もいるようですから。
    | 弘前りんご | 文学 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
    土淵川のカルガモも大きくなりました。
    0
      通勤の途中でいつも見かけるカルガモ君達、いつも和ませてもらっていますが、
      すっかりみんな大人になりました。

      雪解けも進み、残った雪の上で思い思いに休憩しています。
      顔を真後ろに向けて背中に埋める、まるでヨガのポーズ。
       


      体のボリュームからして足が細すぎる様にも見えますが、熱を雪に奪われないためか、
      器用に片足立ちしています。動物行動学に造詣の深い方、これに解説を頂ければと
      思います。



      こちらはダンスでもしているのでしょうか、あるいは氷の上だから、スケートかな?
      尾羽を広げ、片足を蹴るような格好で、なかなかユーモラスですね。
      本人は真剣だと云わんばかりの目をしていますが。
      (そんなこと分かるんかい!)



      いよいよ飛び立つ練習なんでしょうか?
      いずれにしても、春になるとそれぞれ新しい場所(北海道?)に巣立って行くんでしょうね。
      渡り鳥ではないのでそんなに遠くには行かないでしょうが。
      | 弘前りんご | 日常 | 06:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
      旅立ちの日に
      0
        旅立ちの日にというタイトルで、なんでカテゴリーがグルメやねん!
        と思った方も多かろうと思います。
        しかし、送別と言えばその宴は欠かせない、と言ういささか強引な展開で恐縮
        ですが、要するに送別会に出た料理がおいしかったというだけのことです。m(_ _)m

        場所は弘前フレンチの老舗、”レストラン山崎”
        市川海老蔵&小林麻央の結婚披露宴にスープを出したお店と言えば分かる方も。

        前菜、撮り忘れました。済みません。おいしかったことだけは記憶しています。(^_^;)


        サーモンのマリネ


        りんご(ふじ)の冷製スープ、カプチーノ風(海老蔵の時もりんごの冷製スープだったかな?)


        鱸のポアレ、リゾット添え


        鰺ヶ沢の長谷川牧場健康ポークフィレのソテー


        デザート

        大変おいしゅうございました。
        卒業される皆さん、お元気で!
        なんか、ついでって感じが否めませんが、そんなことはないです!?

        | 弘前りんご | グルメ | 00:01 | comments(2) | trackbacks(0) |
        津軽の若き料理人
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          弘前での友人の一人に、津軽創作郷土料理”菊富士”のオーナー、シゲビンさん
          がいます。炙り〆鯖や津軽の地酒のおいしさを教えてくれた方でもあります。
          そのブログには津軽や東北ならではの食材を使った、まだお店のメニューにも
          載っていない試作の料理が紹介されています。どれも今からでも食べに行きたく
          なるものばかり。食事前に見ると目の毒です(^_−)b。

          今回はホタテの卵のオイル漬けでした。

          (シゲビンのお料理ブログ ”きょうは何つくるべ〜”
           http://ameblo.jp/sigebin1029/ から。シゲビンさん勝手に転載ご容赦を。
           あまりにおいしそうなので。)

          先日も金華サバの炙り〆鯖(正にほっぺたが落ちるうまさ)とおいしい
          地酒二本を持って、我が家を尋ねてきてくれました。
          まさに津軽に食福ありです。



          | 弘前りんご | グルメ | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
          歴史の妙とでも言いましょうか。
          0
            今日はハンガリーの作曲家コダーイ(1882-1967)の”ハーリ・ヤーノシュ”
            (テンシュテット指揮、ロンドンフィル)を聴いていました。すばらしい演奏ですね。
            この指揮者はがんのため、まだまだこれからという時に亡くなったのが大変残念です。


            (Klaus Tennstedt The Great EMI Recordings CD No.13)

            でも、あれっ?どこかで聴いたメロディだなと途中で感じ始め、特に終曲など、
            ヤナーチェク(1854-1928)の”シンフォニエッタ”の中に出てくる舞曲風のメロディと
            ソツクリでビツクリ。
            こちらの曲の舞台がブルノというモラヴィア(現チェコ)の中心地。
            そういえば、昔モラビアはハンガリー帝国に支配されていたんですよね。

            コダーイが民族音楽の収集を精力的にしていたことは有名ですが、
            恐らくそのときにモラヴィアに残る民族音楽も集めたんではないでしょうか?
            一方、ヤナーチェクも自国モラヴィアの伝統音楽を研究していたようですから、
            その辺りに接点があるのかもしれません。
            実際に二人の間に交流があったかどうかは定かではありませんが、
            何か歴史の妙の様なものを感じ、妙に納得してしまいました。

             
            | 弘前りんご | 音楽 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
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            (弘前りんご)

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            旅屋の仕事としての旅によって、契約内容を遥かに超える成果(人間関係のもつれを解き、凍てつきを融かす)がもたらされるだけでなく、主人公、そしてそれを取り巻く人々の心までも癒やしてゆきます。

            そして成功するまでは故郷には帰れないと覚悟している主人公が、故郷で待つ母のおかえりという言葉を聞ける日も間もないというところで、小説は幕を閉じます。

            まさにハートウォーミングな小説。読後にじんわりと心があたたまる作品でした。
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