宇宙飛行士になる、野球選手になる、看護婦さんになるなど職種を指定したものや、
お金持ちになる、有名人になるなど高いステータスを目指すもの、中にはお嫁さんに
なるなどつつましく現実的なものまで(最近の婚活ばやりをみると簡単ではないのかも)。
はてさて、そのうちどれだけ実現したんでしょうか?
かくいう私は小学校の頃の夢は考古学者になることでした。
結局今は生命科学の教育研究が生業で、当時の夢は実現が叶いませんでしたが。
ここに、小学校の時の夢、”大きくなったらベルリンフィルの指揮者になる”という、
えらく大きく、かつ具体的な夢を昨年、50歳で実現させた人がいます。
(僕はいかにして指揮者になったか 佐渡 裕 著 新潮文庫)
この本は今から17年ほど前に出たものなので、佐渡裕さんがコンセール・ラムルー管
の主席指揮者の時代に書かれ、まだベルリンフィルの定期に登場するまでには至って
いませんが、これを読むと実に多くの人との出会いが大切であったことがよくわかります。
そして中でもバーンスタイン、小澤征爾との出会いがことのほか大きかったのでしょう。
バーンスタインの”Life can be beatiful.”という言葉は、佐渡さんの人生観に深く刻み
込まれているように感じます。
しかし、その出会いを結果的に掴んだのはひとえに、佐渡さんの無謀と思える時もある
ほど、実に前向きな姿勢です。
”失敗しても死ぬわけやあらへんし、やってみたれ”の精神でしょうか。
それと、”音楽は楽しいもんや”をいつも忘れずにいたことです。
音楽に限らず、なにかの審査に臨むとき、失敗を恐れ、審査員受けすることをしがち
ですが、佐渡さんは、そんなときでも、楽しむ心を忘れずに事に臨んでゆきました。
(ここが幸運な人の真骨頂ですが、本人がそれを忘れそうになったとき、そばに気付か
せてくれる人がいたようですね。)
オフィシャルに知られた事実だけを見ると、実に幸運にたびたびの恵まれたうらやましい
人となりますが、その運が向こうからただやってきたのではなく、彼のこの姿勢が呼び
寄せたものであることがよくわかります。
そして遂に子供のころからの夢であるベルリンフィルを指揮することを実現させてしまい
ました。実に示唆に富んだ一つの生きざまだと思います。
PS: 紹介されるエピソードの中で、バーンスタインの言葉が大阪弁なのには、はまりました。