2009.09.07 Monday
カラヤンルネッサンス
最近、カラヤンのCD、DVDを立て続けに視聴きしている。
それもライブ版を中心に。
クラシック入門者の例に漏れず、やはりクラシックを聴き始めた若い頃にも
カラヤンばかりを聞いていた。なにせ大手はともかく町の小さなレコード店に
行けば、あるのはカラヤンばかり。帝王と冠された帯を見て、権威ある指揮者と
すり込まれて聞いていた。しかし、しばらくして、レコード批評を読むように
なって、カラヤンの録音に対して批判的なものが多いことに気づく。厚ぼったい
オケの音、整ってはいるが冷たい演奏、見た目重視の映像などなど。
そしてやがてそこから離れてそのほかのマイナーな、しかし個性的な指揮者に
移っていった。これも一般のクラシックファンの多くがたどる経路といえる。
では、なぜ最近カラヤンを聴き直すようになったのか?なぜライブ版中心なのか?
ひとつには昨年カラヤン生誕100年ということで、多くの音源が市場に出てきた
事と無関係ではない。これまでカラヤンはスタジオ録音で、傷のない磨き上げた演奏を
録音したものしか、出すことを認めなかった事と関係する。ところが最近出てくる
新たなものには、ライブ版が多い。そしてそこに視る(聞く)カラヤンはこれまでの
演奏とは全く違う、熱い演奏を展開していることに気づいた。少々の破綻には
目もくれず、聴衆を熱狂に巻き込むような、これまでレコードで聞き慣れたカラヤン
とは別人である。そして文句なしに面白い。もちろんカラヤンだし、ベルリン、あるいは
ウィーンの達人オケ相手であるから、演奏はとてつもなくうまい。いままでなにを
聞いていたんだろうと思わざるを得ない。
ということで、今日もamazon.ukで見つけたブルックナーの8,9番、テ・デウムの
DVDをポチッとしてしまった。
それもライブ版を中心に。
クラシック入門者の例に漏れず、やはりクラシックを聴き始めた若い頃にも
カラヤンばかりを聞いていた。なにせ大手はともかく町の小さなレコード店に
行けば、あるのはカラヤンばかり。帝王と冠された帯を見て、権威ある指揮者と
すり込まれて聞いていた。しかし、しばらくして、レコード批評を読むように
なって、カラヤンの録音に対して批判的なものが多いことに気づく。厚ぼったい
オケの音、整ってはいるが冷たい演奏、見た目重視の映像などなど。
そしてやがてそこから離れてそのほかのマイナーな、しかし個性的な指揮者に
移っていった。これも一般のクラシックファンの多くがたどる経路といえる。
では、なぜ最近カラヤンを聴き直すようになったのか?なぜライブ版中心なのか?
ひとつには昨年カラヤン生誕100年ということで、多くの音源が市場に出てきた
事と無関係ではない。これまでカラヤンはスタジオ録音で、傷のない磨き上げた演奏を
録音したものしか、出すことを認めなかった事と関係する。ところが最近出てくる
新たなものには、ライブ版が多い。そしてそこに視る(聞く)カラヤンはこれまでの
演奏とは全く違う、熱い演奏を展開していることに気づいた。少々の破綻には
目もくれず、聴衆を熱狂に巻き込むような、これまでレコードで聞き慣れたカラヤン
とは別人である。そして文句なしに面白い。もちろんカラヤンだし、ベルリン、あるいは
ウィーンの達人オケ相手であるから、演奏はとてつもなくうまい。いままでなにを
聞いていたんだろうと思わざるを得ない。
ということで、今日もamazon.ukで見つけたブルックナーの8,9番、テ・デウムの
DVDをポチッとしてしまった。