弘前りんご_新参者の宝塚日記

大阪から転勤で仙台8年、青森県弘前で21年暮らした関西人が、関西圏とはいえ、大阪とは違った土地の宝塚に住み、いわば新参者として暮らす中で、見聞きしたこと、思ったことをつれづれに書き綴って行きます。
今の若い者は!?
0
     永井荷風は耽美的な作風で明治から昭和にかけて活躍した作家ですが、あるとき父親に将来の志望を聞かれ、新聞記者になろうかと考えたけれども、躊躇の末に「まだ正義と人道を商品にするほど悪徳には慣れていない」と思い直して作家を目指したということです。痛烈な一文ですね。
     
     常々、正義あるいは人道を声高に言い募る人に、胡散臭さを感じてきました。それは、自分は正しいということを大前提にしているように思えるからです。果たしてそれほど自分を絶対視できるんでしょうか? そういった輩がマスコミに多いのはなぜでしょうか?

     テレビ、新聞の報道の姿勢にそのような胡散臭さを感じざるを得ません。確かに、記者が自己批判や内省ばかりしていては記事の一つも書けなくなるかもしれません。しかし、そういう心を忘れると、事実を自分の説に都合の良いように無意識にでもねじ曲げてしまう危険性があります。例えば誰かの発言を全文ではなく、抜き出すことは記事を書く上では避けられないことではありますが、どう抜き出すかというときに、都合の悪いところはわざと外すのでは、その発言の真意を伝えるという新聞報道の本質を外してしまっています。真意を伝えた上で、その問題点を明らかにするのが新聞報道のあるべき姿でしょう。自分を正義の高みにおいての断罪報道は傲慢と言わざるを得ません。

     明治の作家がすでに日本の新聞記者に、そのような傾向を見て取っていたということは、残念ながら日本人いや人間の本性は今も昔も代わらないということなんでしょうか?
    ”人間は進歩しない、変遷するのみ、そして回帰する。”これが歴史は繰り返すことの本質なんでしょうか?
    | 弘前りんご | 日常 | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) |
    じょっぱりとりんごそしてファミリーレストラン
    0


      今日は三題話のようなタイトルになってしまいました。

      黒石のりんご資料館に行ってきました。
      つたに覆われた建物を一度見てみたいと思って行ったのですが、つたも冬の間は枯れ
      ているため見ることは出来ませんでした。しかも土日祝日は休館ということを行って
      から知りました。しかし、ボランティアガイドという方々が交代でその際には建物を
      開けて簡単な説明をしてくださるということで、幸い中を見学させていただきまし
      た。いつものように事前にいろいろと調べていたら、行かなかったと思うと怪我の巧
      妙というところでしょうか。

      素朴ながら、いろいろと工夫があって楽しめました。リンゴ園で季節の折々に聞こえ
      てくる音(吹雪の音、春にはふくろうの声、夏のせみ、など)を聞かせるのは、農家
      の人々が作業をしているときの雰囲気を感じさせました。
      また常々青森のりんごの木が低いのをなぜかと思っていましたが、それは作業をしや
      すくするため、歪化というりんごの木の背丈を低くする書著を施しているためだとい
      うことを、ここで知ることが出来ました。
      さらに、これまでりんご農家が台風や水害、冷害に何度も見舞われ苦労してきたこと
      がよくわかりました。それでも営々とりんごを作り続けてきて、りんごといえば青森
      という評価を勝ち得たことは、青森県人のじょっぱり魂の賜物でしょうか?
      あるいはそういった逆風に耐えてきて、そういった県民性が培われたのでしょうか?

      そんなことを考えながらお昼を食べようととあるファミリーレストランに入りまし
      た。日曜の昼時とあって大変込んでいたのですが、入ると店員が出てきて、禁煙席に
      しますか?喫煙席にしますか?と聞いてきました。
      そこで、禁煙席をお願いしますといったら、禁煙席は満席なので、喫煙席でもいいで
      すかと問い返してきました。それならなぜ禁煙席にしますかなんて聞くんでしょう
      ね?
      喫煙席なら空いておりますが、あいにく禁煙席は満席なのでお待ちいただくことにな
      りますが、どちらになさいますかと聞くべきではないでしょうか?見渡せばわかるこ
      と(実際店員はこちらにどちらにするかと聞いてから一目見て禁煙席は満席だといっ
      たのですから)を、最初にやらないことにこそ問題があるのでは?
      どうも日本のサービス産業の経営者は、こういったサービスの基本を理解していない
      人が多いのではないでしょうか?だからいらっしゃいませこんにちは?などと人の顔
      を見ないで呪文のように言わせるマニュアルを店員に言わせて平気なんではないで
      しょうか?

      そんなやり取りの後、仕方なく喫煙席で我慢しようと席についたら、隣のテーブルに
      二人連れの若い男女の先客が。聞くとはなしに聞こえて来たのが、単語のみの会話
      (といえるのかどうかわかりませんが)、しかも周りをはばからない大声。こちらは
      動物園のサルの檻の横で食事しているような気分。ほとんど味わうというより流し込
      んでさっさと出てしまいました。
      ファミリーレストランに高いレベルのサービスを求めるのはどうかとは思いますが、
      サービス業としての最低限のレベルは維持してほしいものです。
      | 弘前りんご | グルメ | 22:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
      転けました。
      0
         橋下知事に、府庁の職員はサービス残業で大変なんだと朝礼で噛み付いていた女性職員。その直後のテレビインタビューで、何時間くらいサービス残業をやっているのかと聞かれて、自分はやっていないと答えているのには、下手なお笑い番組を見るよりも大いに笑えました。語るに落ちるとはこのことではないですか? まあ、好意的に解釈すれば、勤勉で無口な自分の同僚達の苦労を代弁してあげたのかもしれないけれど、代弁するなら残業代わってくれとつっこみたいのは私だけでしょうか?

         さらにこの話にはオチがあって、この女性職員は中核派の女性闘士で、街頭演説する姿の写真がネットに出ていました。学生の頃毎日のように聞かされたアジ演説のようなニオイを感じたのが的外れではなかったと、一人悦に入っていました。現実を知らない知事云々とも発言していましたが、知らないのは昔から、あなた方のようなインテリ闘士達だったのではないでしょうか。

         それはさておき、沈みかけているタイタニック号、大阪府に乗り合わせた府民(府庁の職員も多くはそうでしょう)が、夕張のようにならないためにはどうすればいいのか、真剣に考えるべき時でしょう。必要とあらばいろんなことを考え、有効と思えることをいろいろ試さなくてはいけないはずです。そんなときに意見の交換の場としての朝礼が、勤務時間前の20分程度設けられることに対して、まずもって時間外勤務手当がどうのこうのというようなことが出てくること自体、危機感を持っていないことの表れではないでしょうか? また、橋下知事の言動は府民と府庁の職員の連帯感を断ち切るものだと言っている彼女自身が、連帯感を作ることとは無縁の存在のように感じましたが、皆さんはいかがでしょうか?
        | 弘前りんご | 日常 | 21:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
        1日中、山道? 
        0

           

           ハイキングに行ってきて、道に迷ってしまった、というわけではありません。
           このタイトル、本当は旧中山道(きゅうなかせんどう)とすべきところを、とある放送局の新人アナがタイトルのように読んでしまったということです。最近は確かに、これまで言葉のプロ的存在であると考えられてきたテレビのアナウンサーが、漢字が読めない人が多くなり、こういった読み間違いは日常茶飯事のようです。これも(ちゃはんじ)と読まれてしまう予感がしますが。

          時代の要請で、特に女性アナウンサーに求めるものが、そういった言葉の素養、話し方の旨さより、容姿、キャラクターに重きを置いて採用しているとのことですから、そうなるのも当然かも知れませんが。


           生物では使わない機能は退化するという厳然たる法則のようなものがありますが、それと同じで、ワープロソフトが普及して手で字を書かなくなった現代人は、当然のごとく字が書けなくなってしまったということでしょう。ワープロを使い始めたのが就職後だった私でも、やはりワープロがないと書けない字がどんどん増えつつあります。人のことは笑えません。

           


          それは、退化じゃなくて、生え際の後退! ^^;)

           

           さて、テレビに話が及んだついでに書くと、学習クイズ的な番組が大流行のようです。1つ受けると他局が追随するという、創造性の無さはさておき、最近少々恐ろしい番組を見ました。クイズヘキサゴンのように、お馬鹿なタレントを笑いのネタにするのがさらにエスカレートして、小学校で習う程度の問題を成人のタレントに答えさせ、最低の成績の人をスーパー小学生と称する(要するに小さいときから受験仕様の勉強をさせられている)子たちに交えて復習させ、できないと小学生から笑われるというものでした。しかし考えてみると、その笑われている若いタレントは、子供の頃から芸能界にデビューし、学校の勉強はそっちのけにタレント活動をしていたんでしょう。笑う側も笑われる側もようするに親や周りからちやほやされていて、本人の自主性に基づくものではない点は共通しています。
           マスコミとは怖いものです。子役でデビューした時には持ち上げて、勉強する時間もないほど引っ張り回し、そのまま大きくなったら、今度は笑いものにする訳ですから。

           

           

          ブログランキングに参加しています。皆さんのクリックで順位が決まります。  
          気に入ったら、このブログランキング(または白いボタン)を押してください。

           ご協力、ありがとうございます (*^^*

           

          #テレビ #アナウンサー #退化 #笑いもの #タレント #マスコミ #字が書けない

           

          ブログランキング URL: https://blog.with2.net/link/?1920861

           

          | 弘前りんご | 日常 | 18:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
            12345
          6789101112
          13141516171819
          20212223242526
          27282930   
          << April 2008 >>
          + RECOMMEND
          失われた手稿譜 ヴィヴァルディをめぐる物語【電子書籍】[ フェデリーコ・マリア・サルデッリ ]
          失われた手稿譜 ヴィヴァルディをめぐる物語【電子書籍】[ フェデリーコ・マリア・サルデッリ ] (JUGEMレビュー »)
          (弘前りんご)

          自身もバロック音楽の研究者であり、演奏家であるサルデッリが書いた、”失われた手稿譜 ー ヴィヴァルディをめぐる物語 ー” では、ヴィヴァルディが亡くなった直後から漂流し始める、ヴィヴァルディが残した膨大な手稿譜が本当の主人公であり、小説の形をとっているものの、そこに書かれたことはほとんどが事実です。

          しかし、その手稿譜がたどったその後の運命は、数奇としか言いようのないものでした。

          手稿譜を借金の方に取ろうとする債権者、取られるのを防ごうとしたヴィヴァルディの弟。

          修道士会に寄付されたものの、その価値がわからない修道士たちは、それをごみのように扱い、教会の倉庫の奥に放り込でしまい、長い年月の眠りにつきます。

          その後その存在を知った貴族が個人のコレクションとして入手。

          研究し、その散逸を防ごうとした研究者と、骨董的価値にのみ注目するファシスト政府との攻防。

          いずれも手に汗握る展開で飽きさせません。

          最大の貢献者の一人、ジェンティーリが追われて大学を去るときの言葉

          ”正しきものは、とこしえに記憶される” が、心に染み入ります。
          + RECOMMEND
          旅屋おかえり [ 原田マハ ]
          旅屋おかえり [ 原田マハ ] (JUGEMレビュー »)
          ”旅屋おかえり”は、旅そのものが目的であり、生きがいの、そしてそれを仕事にしてしまった一人の女性の夢、挫折そして再生の物語です。

          旅屋とは、故あって自分は旅に出ることが叶わない依頼人に代わって旅をして、本人の代わりに希望の体験や目的を果たして、その旅の記録を依頼者に成果として届けるというもの。それを思い立ったのは偶然の出会いから。

          またタイトルのおかえりは、家に、故郷に戻ったときに掛けられる言葉、”おかえり” と、丘えりこの愛称、おかえりをもじったものです。そしてその言葉を聞きたくて旅に出るのです。

          旅屋の仕事としての旅によって、契約内容を遥かに超える成果(人間関係のもつれを解き、凍てつきを融かす)がもたらされるだけでなく、主人公、そしてそれを取り巻く人々の心までも癒やしてゆきます。

          そして成功するまでは故郷には帰れないと覚悟している主人公が、故郷で待つ母のおかえりという言葉を聞ける日も間もないというところで、小説は幕を閉じます。

          まさにハートウォーミングな小説。読後にじんわりと心があたたまる作品でした。
          + SELECTED ENTRIES
          + RECENT COMMENTS
          + CATEGORIES
          + ARCHIVES
          + Google Adsense
          + Google AdSense
          + Google AdSense
          + Google Adsense
          + Google AdSense
          + MOBILE
          qrcode
          + LINKS
          + PROFILE