(果たして、作曲家と指揮者の両立は可能か?)
指揮者としての名声を獲得しながら、自分の本分は作曲家だと考えていた人達がいます。
かのマーラーしかり、そして少し時代が下りますが、フルトヴェングラーも。
(ヴィルヘルム・フルトヴェングラー wikipediaより)
しかし、指揮者と作曲家の両方で評価されるのは果たして可能なのでしょうか。
作曲家/指揮者の先駆者はベルリオーズ、そしてメンデルスゾーンと言われています。
そして、リヒャルト・シュトラウスもその系列に入ります。
彼らはまずは作曲家であり、指揮もすると言うところでしょうか。
一方、マーラーは今でこそ作曲家として不動の評価を得ています。
しかし、当時は指揮者として見られていたのであって、作曲の方は日曜作曲家、ようするにアマチュアとして捉えられていました。作曲もする指揮者と言う評価ではないかと思います。
そして本人の意識は別として、バーンスタインもその系列に連なるようです。
(レナード・バーンスタイン、1918年8月25日 - 1990年10月14日、wikipediaより)
バーンスタインは、長らく務めた(1957-1969)アメリカのオーケストラ、ニューヨークフィルハーモニックの常任を退いた後、作曲家としての時間を充実させようと考えていたらしいのですが、ウィーンフィルへの客演などが非常に好評で、指揮者として引く手あまたとなり、結局は作曲に十分な時間が取れず、寿命の方が先に尽きてしまいました。彼としては非常に口惜しいことだったに違いありません。
(職業としての指揮者)
考えてみれば過去の偉大な作曲家達は、自分の作品を発表するために指揮していました。それが職業としての指揮者が確立したのは、恐らくハンス・フォン・ビューローあたりからでしょう。
(ハンス・フォン・ビューロー wikipediaより)
彼は演奏家であって作曲家ではありませんでした。
従って、職業としての指揮者でありつつ、作曲家として成功した人は多くありませんが、最近ではブーレーズ、少し前ではR.シュトラウスが揚げられます。
R.シュトラウスは作曲家として次々と作品を発表しながら、一般の指揮者としても活躍した稀有な例でしょう。
(現代と言う音楽シーンの難しさ)
考えてみるに、たとえばベートーヴェンの時代、彼の作品がまさに現代曲であったわけです。なかなかその新しさはすぐには受け入れられなかったようですが、それでも西洋音楽の根幹である和声、調性が失われたわけではなく、その新しさはしばらくすると受け入れられました。それをいわば売り込むために、その曲を一番良く知っている本人が指揮したり、演奏した利したわけです。
しかし、近現代、その2つ(和声、調性)を否定する無調、十二音技法などが出現するに至って、一般の人にはなかなか受け入れがたく、残念ながら昔の現代曲と同様なポピュラリティーを得る事は極めて困難になりました。
そのことも指揮者と作曲家の両立を難しくしていると思えます。
現代曲の中で評価が確立し、たびたび演奏会にかかる作品は、古典的な和声、調性ではないにしても、新たな調性感を感じさせる作品が多いことは皮肉な話です。
結局、ベートーヴェンなどの時代ならともかく、現代においては自作を発表するだけの指揮者という職業は、ビジネスとして成り立ちにくいということのようです。
いきおい、他人が書いた過去の有名曲を演奏会で指揮する仕事が中心になり、自作を発表する機会は極めて限られたものになって行きました。
たまたま、ヒラリー・ハーンのヴァイオリンによる、魅力的なバーンスタインの作品(セレナーデ)を聴いて、そのような事を考えた次第です。
(バーンスタイン: セレナーデ、ヒラリー・ハーン(Vn)、ジンマン指揮ヴァルティモア交響楽団)
https://www.youtube.com/watch?v=VSKZt8rvoNg
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