弘前りんごの北のまほろば

司馬遼太郎の”街道をゆく”のタイトル”北のまほろば”に魅せられて、本州最北端の県にやってきました。日々見聞きしたこと、感じたこと、考えたことなどをつれづれなるままに綴ります。写真、音楽、そして本好き(万葉集)なアラ還です。
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友情と、妻への愛が生んだ、珠玉の名曲達 _ バルトーク 管弦楽のための協奏曲、ピアノ協奏曲第三番
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    自分の信じる芸術のために我が身を捧げて、極貧の内に死を迎えた画家や作曲家などの芸術家達が居ました。


    我々は、彼らの正に自らの命を削って生み出した珠玉の作品を授けられているわけです。合掌 m(_ _)m

    敗戦後の混乱期、法職にある身でヤミ米を食べる訳にはいかないと、筋を通し続けて餓死した裁判官が居られたとか。

    芸術の世界も似た側面があります。


    バルトーク・ベラ 1881年3月25日 - 1945年9月26日 wikipedia、なお、ハンガリーでは、姓・名 の順に記載します)

    さて、近現代のクラシック音楽の作曲家で欠くことのできない作曲家、バルトーク
    第二次世界大戦の混乱の中、台頭するナチスなどからの難を避けて、自由の大地アメリカに渡ります。


    しかし、彼の芸術を受け入れる機運がアメリカには、まだ十分には醸成されていませんでした。

    時代はシェーンベルクなどの無調、12音主義の現代音楽が主流となり、アメリカもその洗礼を受けていました。

    バルトークもヨーロッパに居る頃は。バリバリの無調の音楽を書いていましたが、ヨーロッパを離れる頃には、ハンガリーの民族音楽の採譜、研究の成果が実ったこともあり、彼独自の調性感を持つ作風に変わって行きました。しかしそんな彼を世間は時代遅れ、あるいは時代に逆行する過去の作曲家だと見なしました。

    今から見れば、それが見当外れだと言えますが、当時の機運はそうだったのが、彼には災いしました。

     

    また元々人付き合いが苦手な性格も災いして、バルトークは生活費にも事欠くような苦しい生活を余儀なくされます。

    そして悪いことに病に倒れます(白血病)。そのため、すっかりバルトークは作曲の意欲を失ってしまいました。


    (セルゲイ・クーセヴィツキー 1874年7月26日 - 1951年6月4日 wikipedia)

    そんな窮状を見かねて、彼に救いの手を差し伸べたのが、指揮者クーセヴィツキー
    ただ、金銭による支援では誇り高いバルトークは受け入れないと考えた彼は、作曲を依頼します。

    当時としては破格の1000ドルでの依頼でした。

     

    バルトークは、健康がすぐれず、完成させる自信がないと断ろうとしましたが、クーセヴィツキーは、この依頼には期限は無いからと、作曲することを納得させます。そうするとバルトークも、気力が回復したのか、作曲に取り組み、なんと2ヶ月という短期間で完成させます。その結果生まれたのが、20世紀の代表的な名曲 ”管弦楽のための協奏曲”です。

     

    この依頼には、ハンガリーからの移住を助けた、指揮者のフリッツ・ライナーやヴァイオリニストのヨーゼフ・シゲティ等からの助言もあったようです。いまでは、国際指揮コンクールの課題曲の常連伴っているようですね。それだけ演奏が難しいということでもあるのでしょうが。

     ライナー指揮、シカゴ交響楽団 ”管弦楽のための協奏曲” この作品の代表的名演でしょう。

     https://www.youtube.com/watch?v=34GPrH9ZKLQ


    おかげで、病も小康状態を得て、その後に最晩年の名曲をいくつが作曲することができました。

    無伴奏ヴァイオリン・ソナタ、未完成に終わったけれどもヴィオラ協奏曲、ピアノ協奏曲第3番

    この内、ピアノ協奏曲第3番は、自分の死期が近づいていることを感じ取ったバルトークが、あとに残される妻 ディッタ(優れたピアニストだったそうです)がピアニストとして生計が立つようにと、彼女の誕生日のプレゼントとして作曲されました。


    そのせいか、その前の2つの益荒男(ますらお)振りなピアノ協奏曲に比べて、やわらかな楽想が多く、ピアノの演奏も打楽器的な奏法が控えめになっています。そこにはバルトークの妻への愛情が込められている気がします。

     

    我々は、管弦楽のための協奏曲並びにその後の名曲の誕生を促してくれた、クーセヴィツキーらの友情にも感謝しなければいけませんね。

    アンドラーシュ・シフ(András Schiff)バルトーク:ピアノ協奏曲第3番 Sz 119 
    http://www.youtube.com/watch?v=l7J7L53b8U0 

     

     

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    #バルトーク #友情 #管弦楽のための協奏曲 #クーセヴィツキー #ライナー #シゲティ #ピアノ協奏曲第三番 #妻への愛

     

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    | 弘前りんご | 音楽 | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) |









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