(ハプスブルグ帝国)
ハプスブルグをヨーロッパの大国にならしめたマリア・テレジア。
神聖ローマ皇帝フランツ一世の后であり、ハンガリー女王、オーストリア女大公、ボヘミア女王。
マリア・テレジア( 1717年5月13日 - 1780年11月29日、wikipedia)
その手法は、各国の王室と姻戚関係を結ぶこと。
初恋の人フランツ(神聖ローマ皇帝(在位:1745年 - 1765年))と結ばれましたが、多忙な政務をこなしながらも子宝に恵まれ、
男子5人、女子11人の16人の子供をなしました。そしてその子達を周辺各国の王室との姻戚関係を結ぶことに活用しました。
そのフランツの死後、その後喪服しか着なかったことでも有名です。
マリー・アントワネット(wikipedia)
その子供の一人が、あのマリー・アントワネット。フランスのルイ16世の后となりました。
その他にも、娘や息子のほとんどがフランス、スペイン、イタリアに勢力を持つブルボン王家の一族と結婚しています。
その目的は、急激に力を付けつつあるプロイセンに対抗するため、宿敵フランスと和解する必要があったからでした。
しかし、フランツ、そしてテレジアの死後、ハプスブルグは急速に力を失ってゆきます。フランスとの過度の接近が、逆にドイツ諸国の反発を買ってしまったこともあったようです。
今日5月13日は、そんなマリア・テレジアの誕生日です。
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