(グレン・グールドというピアニスト)
今日10月4日は、グレン・グールドの命日です。36年前に惜しくも50歳の若さでこの世を去りました。
(1932年9月25日 - 1982年10月4日)
(コンサートをドロップアウトしたピアニスト)
確かに華々しいデビュー後、そのキャリアの初期に、ライブ演奏(コンサート活動)から一切手を引いたことは事実です。その後はもっぱらスタジオ録音したものを編集(口の悪い連中の言葉を借りれば音符を切り貼り)して、それを発表しました。
問題は、なぜそのようなことをしたのか。そしてそのような手を加えたものに果たして価値があるのかどうかです。演奏の技術的な難点を隠すため、難しいパッセージを一度で弾き切るのが難しいところを何度も録音して、一番良いものを取り出してつなぎ合わせ(切り貼りして)、その難点をカバーしていると、まことしやかに語られることもありました。確かに著名な演奏家のコンサートを聞きにゆけば、CDではあれだけ完璧な演奏をしていたのに、けっこう実演ではポロポロとミスが散見されることがあります。
しかし、ドロップアウトする前のコンサート活動のCD(ライブ録音)をいくつも聞くにつけ、その演奏技術の高さは、少なくともデビュー当時は誰もが認めるところです。ドロップアウトの理由が、演奏技術の欠陥を隠すためとは到底考えられません。しかも、聴くものを魅了し、技術的にも非常に高く、かつカリスマ性もあったからです。
(なぜスタジオ録音にこだわったのか)
では、なぜそんな彼が、フランケンシュタインよろしく、つぎはぎだらけの音楽にしたものを、我々はありがたがっているのだろうか。
グールドは、演奏者(ピアニスト)である前に、表現者(芸術家)でありたいと願っていたらしいということが重要な鍵です。表現したいものがまずあって、それをまずは子供の頃から慣れ親しんだ身近なピアノに託して表そうとしたけれど、そうするにはピアノはあまりに制約が多いと感じるようになっていったようです。しかし、デビュー当時までそれ以外にすべがなかった。その制約の中で心(頭)の中にある表現したいものに少しでも近づけるためには、自ら歌い(うなり)、腕を振って指揮の様な動きまでしたと、自身ピアニストで、その生理をよく知る青柳いずみこさんは、語っていました。(グレン・グールド −未来のピアニストー 青柳いずみこ著 筑摩書房)
(新たな創造者として)
また録音したものをあくまで素材として、その中からピックアップしたものを、新たな創意によって配置してゆくことが、新たな作品を生み出す行為になると気づいたのではないでしょうか。そしてその行為により、自分の理想に近いものを作品として世に問うたというのが、真実ではないかとも彼女は言っています。画家でも作家でも推敲し、リライトするのは普通ですし。
もちろんそのような新たな試みがすべて成功したわけでありませんが、芸術家ならばいつも新しい表現に挑み、その多くの失敗の中から画期的な表現をつかみ取るわけです。本質が演奏家である前に、まず芸術家であると自負したグールドが、そのような行動を取ったとしてもなんの不思議もないと言えます。
なによりも一回限りの、その場の状況(会場や用意されたピアノのコンディション、観客の不躾な態度(せきや物音))に大いに表現の完成度が左右される状況に我慢できなかったことは十分に理解できます。しかし、もっと大きな理由は、さまざまなテイク(録音)を素材にして、新たな作品を作り上げたいという、いわば芸術家の性が、コンサートからドロップアウトさせたということが、事の真相ではないでしょうか。
(世の中の評価は?)
そんな彼の行為は、当時は奇異の目で見られ、ピアニストにあるまじきと受け止められました。しかし、今のミュージシャンは、自分で録音、編集し、ネットで配信する時代になっています。彼はいわば50年も時代を先取りしていたといえるのではないか。そういう意味で早く生まれ過ぎたピアニストであったともいえます。
現代にグールドが生まれていたら、悩むこと無くより一層その力を発揮できたのではないかと想像してみたくもなります。
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