弘前りんご_新参者の宝塚日記

転勤で21年も青森県の弘前で暮らした関西人が、関西圏とはいえ、大阪とは違った土地の宝塚に住み、いわば新参者として暮らす中で、見聞きしたこと、思ったことをつれづれに書き綴って行きます。
今日2月24日は、狩野派に敢然と立ち向かった画家長谷川等伯の命日です。
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    (松林図の衝撃)

     

    長谷川等伯 松林図 左隻(wikipedia)

     

    同 右隻 (wikipedia)

     

    安部龍太郎の小説『等伯』。

    等伯の松林図を目にして、秀吉、家康、利家など居並ぶ戦国武将たちが目に涙を浮かべ、”我々はこれまで何をしておったんだろう”と言わしめた場面。

    これをクライマックスに置くことを想定して、この小説は書かれたという印象を持ちました。

     

     

    (芸術家の業)
    武家の四男に生まれながら、幼い頃に染物屋、絵屋の長谷川家に養子に出された信春(等伯)

    武士になれなかった、大いなる挫折感を味わいながら、この上は絵師として大成して実家を見返すと心に誓います。

     

    それから70代までの人生の大きな節目節目での判断。

    それは絵師としての本能に沿った、しかし、結果的に自分を追い込むことばかり。

    結果、本国(能登)を追われ、京都でも対立する武家同士の争いに巻き込まれます。

     

    更には当時の絵師の世界を牛耳っていた狩野派にも敵とみなされ、身も心も休まるときはなかった人生。

    その過酷さは本人もさることながら、家族(特に死別した最初の妻)には一層厳しかったことでしょう。

    自分以上の才を持っていると期待していた長男の若すぎる死も彼には大きな痛手。

    しかし、だからこそ他の者には到達できない高みに到達できたともいえます。

     

    それにしても、芸術家の業とはそこまでも凄まじいものかと驚かされざるを得ません。

     

     


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    #長谷川等伯 #松林図 #安部龍太郎 #狩野派 #苦闘 #長男の死

     

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    | 弘前りんご | 文学 | 15:58 | comments(0) | - |
    今日2月11日は、折口信夫の誕生日です。
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      (文学との出会い)

      文学というものを意識して読んでみようと思ったきっかけが、折口信夫の「死者の書」でした。

      高校生の半ばまで、科学小説、ノンフィクションしか殆ど読まなかった時に、この作品に出会い、衝撃を受けたことを思い出します。

       

      (折口信夫 ”死者の書” 中公文庫)

       

      (大津皇子と中将姫)

      題材が大津皇子伝承、中将姫伝説

      舞台が飛鳥と難波の境界とも云うべき二上山

       

      この二上山に葬られた大津皇子の覚醒の場面から始まります。

      もうその冒頭の記述”した した した。こう こう こう。こう こう こう。”

      これで、一気に物語の中に引き込まれました。

       

      その覚醒を引き起こしたは、大津皇子が磐余の池の端で処刑される直前に見た耳面刀自(ミミモノトジ)に面影の似た同じ藤原南家の郎女(いらつめ)。

      この娘が大津皇子の死後、数十年の後に現れ、それが二上山大津皇子の霊を呼び覚ましました。

      物語はそこから、その娘が大津皇子に羽織らせたいと蓮糸で紡いだ曼荼羅が、今も残る当麻曼荼羅であるという伝承とつながって行きます。

       

      文庫本にして100ページほどの短編の中に、実に多くのことが明示的に、あるいは暗示として書かれていて、実に魅力的な作品ではありますが、その一つ一つの事柄を知れば、一層物語り世界は広がって行きます。

       

      (作者 折口信夫)

       

      折口信夫(おりくちしのぶ、1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日、wikipedia)

       

      折口信夫は、日本の民俗学者、国文学者、そして国語学者でした。民俗学の泰斗、柳田国男の高弟として民俗学の基礎を築いた人です。また詩人としては釈迢空の名で活躍しました。

       

      今日2月11日は”死者の書”の作者、折口信夫の誕生日です。

       

       


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      #折口信夫 #伝奇小説 #死者の書 #大津皇子 #二上山 #中将姫伝説 #當麻曼荼羅

       

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      | 弘前りんご | 文学 | 19:35 | comments(0) | - |
      捨ててこそ空也_依然として梓澤要にハマっています ^^;)
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        (教科書で見た像)

        小学校か中学校の確か社会科か歴史の教科書あるいは副読本に載っていたお坊さんの像。

         

        空也上人像(慶派 康勝作、wikipedia)

         

        口から仏様が次々に出てくるという不思議な像。6体の仏像は南無阿弥陀仏の6文字それぞれを表して居るようです。

        口称念仏の祖と言われ、南無阿弥陀仏と心より唱えれば、たとえ罪人であってさえ、救済されると言う教えを説いた空也

        まさに唱える念仏のその言葉一つ一つが仏であるという発想から作られた像。

         

        (梓澤要の”荒仏師運慶”)

        この空也上人像の作者の康勝は、あの運慶の四男で、慶派の仏師です。

        これまでの仏像のしきたりにとらわれず、表現したいものを優先するという運慶の教えに従って作られたと、先日読んだ梓澤要の”荒仏師運慶”の中に出てきます。

         http://kitamahokif.jugem.jp/?eid=3277

         

        荒仏師運慶を読み終えたので、次に選んだのはそのような繋がりから、空也を描いた作品”捨ててこそ空也”と相成りました。

        これで梓澤要は、画狂其一から始まって3冊目。ハマっています ^^;)

         http://kitamahokif.jugem.jp/?eid=3253

         

        (空也とは

        ただ、運慶以上に空也については、その出自や生涯の詳細についてはわからないことが多く、小説として描くのは相当困難だったのではないかと思います。

         

        醍醐天皇の皇子だったという説があり、本作品ではそれを採っています。

        空也は皇子でありながら、飢饉や疫病に苦しむ庶民の実態を知って、貴族の世界を飛び出し、様々な修行を行い、仏教の教えに依って彼らを救えないかと苦悩します。

        しかし、当時の仏教界は、厳しい修行を経たものしか悟りを開けず、社会の底辺に居る庶民は救済されえないと言うのが一般の認識でした。それに失望します。そして彼らを救う手立てを模索する日々。

         

        市井の聖、空也)

        そこで、一介の市井の聖として庶民とともに生きることにのぞみを託すようになります。

        まずは、救済活動に参加した経験を生かして、生きていけるように井戸を掘り、飲水を確保しました。ひとりでそれをやる姿に、最初は疑いの目で見ていた人々が、そのうち参加するようになります。

        そこから空也の話を聞く耳を人々が持つようになり、彼の布教活動が実を結び始めます

        そしてようやく彼自身が、”貴賎、善人悪人の区別なく、誰であれ心から南無阿弥陀仏と唱えることで救われる”という悟りの境地に到達し、後の鎌倉時代の一遍上人につながる口称念仏という彼のスタイルが確立します。

         

        己を捨てて、ただひたすらに南無阿弥陀仏と唱えることで、救われて来世には極楽浄土に行けるということから、自身の名前を空也とつけたとしています。小説のタイトルの”捨ててこそ空也”はそのようなところから来ているようです。

         

        自身で宗派(宗教における言わば派閥)を作らず、超宗派的に生きた空也。

        貴族に取り入って加持祈祷を行い、自身の栄達を図っていた当時の仏教界に対する痛烈なアンチテーゼであったろうと思われます。

        しかし、その教えに庶民だけでなく、貴族、仏教界にも支援者が広がって行くさまが描かれています。

         

        なかなか読み応えがありました。

        さて、次は?

        当分梓澤要もうでが続きそうです ^^;)

         

         


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        #梓澤要 #荒仏師運慶 #康勝 #空也 #捨ててこそ空也 #平安期の仏教 #南無阿弥陀仏 #口称念仏 #一遍上人 #画狂其一

         

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