(鳥居の鬼こ)
20数年前に、弘前に赴任してだいぶ経ってから(10年ほど?)気づいたのですが、津軽のいたる所に鬼にまつわる伝承があることと、そしてなんと言っても特筆すべきは鳥居の上に鬼がいることに。
そうなんです。
通常、鳥居の一番上の笠木・島木とその下の貫の間の、本来神社名を記した額束があるべき場所に、鬼が祀られていたのです (*^^*)
弘前市撫牛子の八幡宮の鳥居
五所川原市、金木の立野神社のカラフルで迫力のある鬼。数年前にリニューアルされたもの。
こちらがリニューアル前のもの (*^^*) 上のは、もはや別人28号? ^^;)
それに気づいてからというもの、休みの日はそれらを探して津軽中を徘徊?^^;)することになりました。
おかげで現存する40数体の鳥居の鬼を見つけることができました。それらの詳細については、本ブログに記しているので、興味ある方は御覧ください。(ブログ上欄のGoogle検索欄に、津軽の鳥居の鬼こと入力して検索するとリストが出ます)
(なぜ鳥居の上に鬼がいるのか)
これについては諸説があり、確定していませんが、一つには鬼の持つ霊力による厄除け、神社を護るといった意味合いがあるようです。しかし、他県では鬼は豆をもって追い払うべき嫌われ者なのに、なぜ津軽では逆に好まれる存在になったのか?
それを解く鍵は、岩木山の東麓にある、巌鬼山神社(がんきさんじんじゃ)にありました。
(厳鬼山神社)
名称に鬼を持つ神社は、この巌鬼山神社以外に、弘前市鬼沢地区にある鬼神社(おにじんじゃ、通称きじんじゃ)がありますが、おそらく厳鬼山神社の方がより古く、鬼信仰の出発点ではないかと思います。今から1200年ほど前に創建されました。
この神社は、弘前市十腰内猿沢地区にあります。
この十腰内(とこしない)という地名も、後述のように鬼伝説ゆかりのものです。
巌鬼山神社の一の鳥居
いま、岩木山神社として名高い、岩木山の拝殿を持つ神社、岩木山神社(本殿は岩木山上にある奥宮)。もともとは、この地にあった巖鬼山神社を、移したものだそうです。
岩木山神社の山門(2019年の初詣)
1200年前の創建当時から十腰内にある巖鬼山神社から奥宮(岩木山山頂)への参拝には困難がつきまとったそうです。
そこで神にお伺いを立てると、ここから”百の沢を越えた地に社殿を立てよ”とのお告げがあったとか。
そうして900年前に、今は百沢と呼ばれる地に代わりの下居宮、岩木山神社が立てられました。
岩木山神社の方が、今は弘前の人気観光スポットとして、多くの観光客やお山信仰の参拝者で賑わっているのに対して、巖鬼山神社の方は立派な社殿を持ちながら、静謐な雰囲気を保って、ひっそりと佇んでいます。
一の鳥居の左横に建つ、創建1200年を記念する石碑。
霊峰岩木山の山頂には岩木山大神がしずまっておられますが、平安時代に坂上田村麻呂が山頂の奥宮を再建したおり、山麓に下居宮として、十腰内に創建したのが、この巖鬼山神社です。
長い参道を歩いてゆくと、二の鳥居から四の鳥居は踵を接して立っていました。
参道の両側には、創建当時からある、樹齢が1200年と思われる杉を始めとした巨木が立ち並んでいます。
(地名の由来)
さて、この地、十腰内の名前の由来ですが、鬼伝説と密接に関連しています。
参道途中に建つ巌鬼山神社の石碑。
昔、この地に刀鍛冶の長者が住んでいましたが、彼には適齢期の娘がいました。
境内の中にある、清流。
その娘を見初めた、岩木山の鬼が、娘を嫁にほしいと、長者に申し入れました。
困った長者は、一晩のうちに10本(十腰)の刀を鍛えることができたら、娘を嫁にやろうと約束しました。
しかし、鬼は見事一晩でそれをやってのけました。
津軽の神社には、馬の像が多く残されています。
しかし、娘をやりたくない長者は、そのうちの一本を密かに隠し、9本しか無いと鬼に詰め寄りました。
すると鬼は、”じゅっこしない、じゅっこしない”と呟きながら、寂しそうに山に帰ってゆきました。
そしていつしか、この地を、じゅっこしない ⇨ 十腰内(今は、とこしない、と読む)と呼ぶようになったそうです。
なんとも人のよい (^_^;) 鬼ではありませんか。
樹齢1200年の御神木
(鬼は一体何者?)
では、鬼と呼ばれたのは、一体何者だったのでしょうか?
伝説の基には多くの場合、何かモデルがあります。
鬼と呼ぶからには大柄で、逸話から判断するに鉄を扱える技術集団(たたら師)だったのではないでしょうか?
実際、岩木山の西海岸である鰺ヶ沢に、製鉄の遺跡(杢沢遺跡)が見つかっています。
彼らは、津軽の人々にとって、元々は外来者だったけれど、津軽の地に製鉄の技術をもたらした、いわば恩人だったのではないでしょうか。だから、忌み嫌うのではなく、鬼を歓迎する風潮があったのではないでしょうか。
木立の間から社殿が見えます。寺院建築のようにも見えます。
実際、明治維新までの神仏習合の際には、十一面観音様が祀られていたため、いまでも津軽三十三観音の参拝者が来るそうです。
津軽でのオフでの生活を彩ってくれた、鬼伝説の思い出でした。
熊野宮(弘前市種市熊谷)の鳥居の鬼こ
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