(ベル・エポック)
ベル・エポック。フランスのパリが文化芸術の街として、最も輝きに満ちていた時代。
時期的には、19世紀末から第一次世界大戦勃発(1914年)までを一般に指すようです。
普仏戦争(19世紀中頃)に敗れたフランスでは、パリ・コミューン成立などの混乱が続き、政治体制も第三共和制が不安定な状況でした。
しかし、19世紀末までにはイギリスに遅れるものの産業革命も進み、都市の消費文化が栄えるようになり、それにつれて芸術文化の華が開くこととなりました。1900年の第5回パリ万国博覧会はその一つの頂点とみなすことができます。
(サラ・ベルナール)
サラ・ベルナール(1844年10月22日? – 1923年3月26日、wikipedia)
パリが最も華やかだった時代、ベル・エポックにおいて舞台女優として一斉を風靡した女優が、サラ・ベルナールでした。
(ベルナール、ミュシャを見い出す)
彼女はその俳優としての才能だけでなく、有能な芸術家を見出す能力にも長けていたようです。
サラ・ベルナールが、自身の舞台劇”ジズモンダ”のポスターを依頼した相手、アルフォンス・ミュシャは、当時全くの無名の印刷所に働く若者でした。
アルフォンス・ミュシャ(wikipedia)
彼は偶然のきっかけでこのポスターを手がけることとなりました。
それを見たサラ・ベルナールはその才能に惚れ込み、その後自身の舞台のポスターを彼に一任しました。
ミュシャ:舞台劇”ジスモンダ”のポスター
お陰で彼は一躍人気作家となります。
(そしてラリック)
さらに舞台の小道具としてのユリの冠。
これのデザインは例によってミュシャがポスターで発表。
ルネ・ラリック(wikipedia)
それを基にデザインしたのが、ルネ・ラリック。
やはり彼も当時無名のジュエリーデザイナーでした。
サラが依頼したことで、ひのき舞台に上がったことから、彼も世間の注目を浴びることになります。
こうしてみると、偶然の出会いがきっかけとはいえ、サラ・ベルナールの確かな見る目がこの二人をデビューさせたといえるでしょう。
まさに名伯楽ですね。
なお、ラリックの一大コレクションが、実は日本の箱根にあります。
箱根ラリック美術館(http://www.lalique-museum.com/)
箱根観光のついでに立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
今日3月26日は、名伯楽サラ・ベルナールの命日でした。
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