弘前りんごの北のまほろば

司馬遼太郎の”街道をゆく”のタイトル”北のまほろば”に魅せられて、本州最北端の県にやってきました。日々見聞きしたこと、感じたこと、考えたことなどをつれづれなるままに綴ります。
不吉な予感を感じさせる絵 ”死の島” _ 今日10月16日は、その作者ベックリンの誕生日
0

    時は、フランス印象派全盛期

     

    印象派にあらずば絵画では無いといった風潮まであったこの時期に、活動していた全く異なる流派がありました。それは象徴主義

    印象派が戸外に出て、太陽の光とそれによって形作られる形をキャンバスに捉えようとしました。一方、象徴主義の画家達は、アトリエにて、抽象的な概念とそれによって触発されたイメージを表現しようとしました。

     

    これは元々は文学の運動と呼応して芸術の世界に起こった潮流です。

    ”青い鳥”の童話で知られるメーテルリンク、”サロメ”のオスカー・ワイルド、”悪の華”のボードレールなど錚々たる詩人、作家が文学で作品を発表しています。

     

    メーテルリンク (wikipedia)

     

    一方、絵画では、あの”オフィーリアの死”の絵で名高い、ジョン・エヴァレット・ミレイや聖書・神話に題材をとったギュスターヴ・モロー、商業絵画(ポスター)で著名なアフフォンス・ミュシャ、フェルディナンド・ホドラー、グスタフ・クリムトなど、皆さんもよくご存知の画家たちがそれこそたくさん居ます。決して印象派の影に隠れてなぞいませんね。

     

    ジョン・エヴァレット・ミレイ ”オフィーリアの死”

    (パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=13455290

     

    アルノルト・ベックリン 自画像(Arnold Böcklin (1827 - 1901), Selbstportrait (1873)、wikipedia)

     

    さて、本題のベックリンですが、なんと言っても彼の代表作は ”死の島”。このテーマで何枚も書いています。

    それらの絵は当時大変な評判を呼び、ベルリンの全ての家庭の壁に飾られていた(作家 ナボコフ)と書かれるほどでした。

     

    ベックリン ”死の島”(バーゼル版)(wikipedia)

     

    描かれている一つ一つの要素は、普通に見られる、島、岩、建物、小舟、人物なのです。

    しかし、それらが一つになって、観るものに静謐でありながら強烈な死のイメージが伝わってきます。

     

    作者自身はこの絵について、その寓意について説明はしていませんが、

    「夢のような絵。誰かにドアをノックされたら驚き慌てるような静謐さを必ずともなって」とあるところで語っていたようです。
    ちなみに、”死の島”というタイトルは、作者自身ではなく、画商が付けたもの。しかし、今ではすっかりそのタイトルで知られていますね。
    そして、この絵に強い衝撃を受け、これをテーマにした交響詩を書いたのが、ロシアの作曲家のラフマニノフ
    その曲のタイトルも ”死の島”。尤も、彼は最初この作品のオリジナルを見たのではなく、その作品のモノクロの銅版画によるオマージュの作品(マックス・クリンガー作)を観たようで、後に原画を観てちょっと最初のイメージとは違ったようですが (^_^;)
    交響詩”死の島” アンドリュー・デービス指揮、王立ストックホルムフィル
    中に、ラフマニノフが他の作品でもたびたび好んで用いた、グレゴリオ聖歌《怒りの日》のテーマがでてきます。

    ブログランキングに参加しています。皆さんのクリックで順位が決まります。  

    気に入ったら、このブログランキング(または下の白いボタン)を押してください

     ご協力、ありがとうございます (*^^*)

     

    #印象派 #象徴主義 #文学 #美術 #ベックリン #死の島 #ラフマニノフ #交響詩 #クリンガー

     

    ブログランキング URL: https://blog.with2.net/link/?1920861

     

    | 弘前りんご | 美術 | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
    今日10月3日は、ナビ派の画家であるピエール・ボナールの誕生日でもあります (^o^)
    0

      裸婦というのは、芸術における一大モティーフですよね。

      先日紹介した、レオナール・フジタ(藤田嗣治)も、パリで描いた乳白色の肌の裸婦で大ブレークし、一躍脚光を浴び、世界の画家の仲間入りをしました。

      http://kitamahokif.jugem.jp/?eid=2653

       

      彼に限らず、多くの画家、彫刻家、はたまた写真家がそれを題材にして、名作を発表しています。

      例えば、ゴヤの”裸のマハ”はその中でも、最も有名な作品の一つで、知らない人はいないのではないでしょうか。

       

      By フランシスコ・デ・ゴヤ - The Nude Maja. On-line gallery. Museo Nacional del Prado., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=26923

       

      さて、フランスの画家ピエール・ボナール。ポスト印象派で、モダンアートへの道を開いた一人。

       

      ピエール・ボナール(1867年10月3日 - 1947年1月23日、wikipedia)

       

      彼もまた、例えば ”逆光の裸婦” という作品を発表しています。

       

      逆光の裸婦(ベルギー王立美術館 HP)

       

      彼は、ポール・セリュジェ、モーリス・ドニらと出会い、彼らと共に ”ナビ派” という絵画のグループを結成して、その一員として作品を発表しています。彼は、後に妻となる女性、マルトという愛称で呼ばれた女性(マリア・ブールサン)と出会い、それからは彼女をモデルにした絵を書き続けます。

       

      このマルトという女性、神経症を患っていたらしく、そのせいもあってか、一日中水浴して過ごすほど入浴好きだったようです。

      いきおい、彼の作品には彼女の入浴シーンが題材として登場し、裸婦がメインテーマの一つとなるわけですね。

      この作品も窓から差す、カーテン越しの日光の下、入浴中の彼女を描いています。

       

      さて、彼が属するナビ派は、印象派の後に登場した絵画グループです。ナビとは、旧約聖書に現れる預言者のこと。

      自らを新しい美の預言者と称することで、其の意識の高さが伺えます。

       

      印象派が光そのものをキャンバス上に捉え、再現しようとしたのに対して、その後に登場した彼らは、このグループの理論派である、ボナールが言うごとく、”絵画とは本質的にある一定の秩序のもとに集められた色彩によって覆われた平坦な表面である”、様々な色彩を画面の上に再構成して、一つの秩序を表現しようとしています。

      従って、写実主義ではなく、芸術の装飾性に重きをおいた作風と言えます。

      そして、絵画だけでなく、ポスター・デザイン、テキスタイル、装丁、舞台美術などいわゆるファイン・アート以外のものも手掛け、アール・ヌーヴォーの先駆的役割を果たすこととなりました。そのことが、現代アートへの道を拓いて行ったとも言えるでしょう。

       

      ボナールは、昨年生誕150年を迎えました。これからもっと注目されていい画家の一人ではないでしょうか。

       

       

      ブログランキングに参加しています。皆さんのクリックで順位が決まります。  
      気に入ったら、このブログランキング(または下の白いボタン)を押してください

       ご協力、ありがとうございます (*^^*)

       

      #ピエール・ボナール #誕生日 #裸婦 #ゴヤ #裸のマハ #ナビ派 #ポール・セリュジェ #モーリス・ドニ #入浴 #妻がモデル #ポスト印象派 #モダンアート 

       

      ブログランキング URL: https://blog.with2.net/link/?1920861

       

      | 弘前りんご | 美術 | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
      今年はレオナール・フジタの没後50年_東京都美術館、藤田嗣治展
      0

        明治維新後、日本人画家はこぞってパリを目指しました。

        西洋絵画を日本に導入するべく、本場パリで油絵を学ぼうとしたわけです。

        しかしそんな中、日本人として、洋画の本場パリで活躍し、認められたパイオニアであったのが藤田嗣治。

         

         

        後にフランスに帰化し、キリスト教に改宗して洗礼名レオナールを用いて、レオナール・フジタと名乗った一人の画家の人生は、波乱に満ちたものでした。

         

        軍医の父(嗣章:後に軍医としての最高位、陸軍軍医総監にまで上り詰めた人)に医者になることを望まれながら、幼い頃から絵を書くことが好きで、絵描きになりたいと父に告白します。そしてその後は画業一筋に生きてゆくことになります。

         

        そして、遂に藤田はパリに渡ります。その自由な空気に触れ、大いに触発され、それまで日本で身につけた一切の手法、道具を投げ捨てました。

        当時多くの日本人画家がパリに留学しましたが、その殆どが本場パリですでに確立された画法を習得しようとしたのに対して、藤田はアカデミアには背を向け、モンパルナスに住み、世界から集まった若き才能達(モディリアーニ、ピカソ、パスキン、キスリングら)と交流します。そして、彼は日本人画家として、洋画を描く意義を問い続け、それまでにない独自の画法(キャンバス全体に白い絵の具を塗り、墨と筆で輪郭線を描くことで、透き通るようなマチエールによる白い肌を表現することに成功)を確立して、一躍パリの画壇の寵児になります。

         

         

        一方、日本の権威に背を向けて成功した藤田に対して、日本国内では芸術家が大衆に迎合するふるまいとして、大きな批判が起こります。日本はいつの時代も精神論が好きなんですね、いやその根っこには、羨望に基づく嫉妬の感情があったのではないでしょうか。

         

        しかし、藤田はそんなことはお構いなし。自分の信じる道を進みました。パリで成功した藤田は、その後南米などを周った後、日本に帰国します。

         

        そこで戦争へと進む日本で、父親が軍医であったこともあり、画家として国に貢献するため、戦争画を描くようになります。

        ある意味、義務感で始めた戦争画であったけれども、題材としての魅力に気づき(ヨーロッパではドラクロアなどが、代表作として描いている)、アッツ島の玉砕などの大作を発表します。

         

         

        しかし、終戦後、芸術家として戦争責任を彼一人に負わせようとする日本の画壇、そして日本に失望し、パリに戻ってフランスに帰化し、キリスト教の洗礼を受けます。

         

        彼の最後の制作が、洗礼を受けたランスに礼拝堂を作り、その壁画を描くことでした。

        実際彼は短期間で、内壁にフレスコ画を描きました。

         

        ランスのフジタ礼拝堂(wikipedia)

         

        その内部(wikipedia)

         

        そんなレオナール・フジタの没後50年の回顧展が、上野公園の東京都美術館で開催されています。

        これまでの経緯から、長らく日本で藤田の業績を顧みることがされてこなかったのですが、これからはその真価が評価されることになるでしょう。

         

        没後50年 藤田嗣治展 Foujita - A Retrospective - 

         

         

        ブログランキングに参加しています。皆さんのクリックで順位が決まります。  
        気に入ったら、このブログランキング(または下の白いボタン)を押してください

         ご協力、ありがとうございます (*^^*)

         

        #藤田嗣治 #レオナール・フジタ #パリ #東京都美術館 #没後50年 #回顧展 #マチエール #透き通る白い肌 #戦争画 #戦争責任 #フランス帰化 #キリスト教改宗 #礼拝堂 #フレスコ画 

         

        ブログランキング URL: https://blog.with2.net/link/?1920861

         

        | 弘前りんご | 美術 | 21:47 | comments(1) | trackbacks(0) |
         123456
        78910111213
        14151617181920
        21222324252627
        28293031   
        << October 2018 >>
        + RECOMMEND
         (JUGEMレビュー »)

        (弘前りんご)
        原田マハの短編小説集”モダン”は、MOMA(ニューヨーク近代美術館)を舞台にした作品集です。
        私にとって、おそらく日本人にとっても、印象深いのは、第一章”クリスティーナの世界”ではないでしょうか。
        タイトルは、同名のあのアンドリュー・ワイエスの名作から取ったもの。
        下半身麻痺の女性が、草原を這って、我が家に向かって進もうとしている光景を描いたもの。
        小説では、2011年3月11日の東日本大震災のときに、福島県立美術館にこの作品が、アンドリュー・ワイエス展のために貸し出されていて、MOMAの委員会が、作品を守るために即回収を決め、MOMAのコーディネーターの職にあった日系女性職員杏子を派遣するというストーリー。
        この作品を日本に誘致するために多大な努力を払った現地学芸員伸子と、本意は回収するには及ばないと思っても、上からの命によって福島に向かわざるを得ない杏子の心の交流を描いています。
        救いは、杏子が福島のためにワイエスの作品を近い将来、再び貸し出せるようにすると決意するところです。
        そしてそれはこの絵の、絶望的な状況にあっても、希望を捨てず前に進もうとする女性の強い意志の力に合い通じるものがあるのではないでしょうか。
        + RECOMMEND
        + RECOMMEND
        + RECOMMEND
        旅屋おかえり [ 原田マハ ]
        旅屋おかえり [ 原田マハ ] (JUGEMレビュー »)
        ”旅屋おかえり”は、旅そのものが目的であり、生きがいの、そしてそれを仕事にしてしまった一人の女性の夢、挫折そして再生の物語です。

        旅屋とは、故あって自分は旅に出ることが叶わない依頼人に代わって旅をして、本人の代わりに希望の体験や目的を果たして、その旅の記録を依頼者に成果として届けるというもの。それを思い立ったのは偶然の出会いから。

        またタイトルのおかえりは、家に、故郷に戻ったときに掛けられる言葉、”おかえり” と、丘えりこの愛称、おかえりをもじったものです。そしてその言葉を聞きたくて旅に出るのです。

        旅屋の仕事としての旅によって、契約内容を遥かに超える成果(人間関係のもつれを解き、凍てつきを融かす)がもたらされるだけでなく、主人公、そしてそれを取り巻く人々の心までも癒やしてゆきます。

        そして成功するまでは故郷には帰れないと覚悟している主人公が、故郷で待つ母のおかえりという言葉を聞ける日も間もないというところで、小説は幕を閉じます。

        まさにハートウォーミングな小説。読後にじんわりと心があたたまる作品でした。
        + SELECTED ENTRIES
        + RECENT COMMENTS
        • 今年はレオナール・フジタの没後50年_東京都美術館、藤田嗣治展
          dezire   (10/09)
        • 富山の廻る寿司情報_すし玉(富山駅ビル きときと市場 とやマルシェ)
          弘前りんご (09/24)
        • 富山の廻る寿司情報_すし玉(富山駅ビル きときと市場 とやマルシェ)
          河野 實 (09/24)
        • 連休にできることをやる (2)_ノートパソコンのデータドライブ換装
          イーザス (09/12)
        • 大阪人にとって、通天閣のようなものといえば、津軽人にとっては何?
          omachi (08/19)
        • 癖になる音楽 ^^;)_スティーブ・ライヒとミニマル・ミュージック
          弘前りんご (07/09)
        • 癖になる音楽 ^^;)_スティーブ・ライヒとミニマル・ミュージック
          てんし (07/09)
        • 癖になる音楽 ^^;)_スティーブ・ライヒとミニマル・ミュージック
          弘前りんご (07/08)
        • 癖になる音楽 ^^;)_スティーブ・ライヒとミニマル・ミュージック
          てんし (07/08)
        • めっちゃおもろい、がしかし、中毒性のある音楽 (^_^;)_ フィリップ・グラス ”アクナーテン”
          弘前りんご (06/11)
        + CATEGORIES
        + ARCHIVES
        + Google Adsense
        + 弘前りんごの"北のまほろば掲示板"
        縁あってこちらに立ち寄ってくださった記念に掲示板に書き込みを宜しく。 弘前りんごの"北のまほろば掲示板"
        + Amazon
        + BLOG RANKING
        + 本ブログへの訪問者数
        20140518 13時 60000人到達
        + MOBILE
        qrcode
        + LINKS
        + PROFILE